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第91回例会

2016年7月13日(水)

トム・プロジェクト公演 

  百枚目の写真
 〜一銭五厘たちの横丁〜


スタッフ
原作:児玉隆也 写真:桑原甲子雄
脚色・演出:ふたくちつよし、出演:大西多摩恵、
 原田健太郎、滝沢花野、田中壮太郎 他

2010年は終戦から65年目に当たる。この不透明な時代に、今尚、戦争の文字が日常から消えることはない。日本にとっても永遠の課題である。戦争が引き起こした悲劇をテーマに様々な表現を通じて反戦の運動が繰り返されてきた。演劇も然り。

今回の「一銭五厘たちの横丁」は、1975年に児玉隆也著、桑原甲子雄写真で出版され話題になった本である。因みに、タイトルの「一銭五厘」とは、当時召集令状の葉書が一千五厘だったことに拠る。たった一銭五厘の薄っぺらな葉書一枚で、東京の人情豊かな下町から夫や息子が戦場に消えていき、残された家族の生活が変貌していく姿を写真とルポタージュで克明に記された本のなかに、平凡な生活の中に庶民のかけがえのない家族の絆、体温を感じさせられる。
声高に戦争の罪などを問うわけでもなく、ただ真摯に生きる家族の姿を淡々と描くこの書の中に、これからの生きるヒントがいくつも隠されている。

この作・演出する、ふたくち つよしは1974年桐朋学園大学演劇専攻科を卒業後、自ら劇団を結成し、これまでに数多い作品を作・演出してきた。大学時代の同期に、次々に話題作を作り出している話題の劇作家永井愛がいる。永井愛しかり、この年代の作家がじっくりと時間をかけて熟成した言葉は、このハイテクの時代に、より有効な劇的効果を与えてくれる。人間の温かさ、物質文化に対するアンチテーゼ等、芝居の持っている魅力を充分に感じさせてくれる。今回の原作をアレンジするに相応しい作家である。

人間の営みを凝視し続けてきた、ふたくち つよしが戦後65年の節目に贈る平和の願いを込めての物語。


(あらすじ)
太平洋戦争中、戦意高揚を図る陸軍省の命令で、カメラマン桑原は戦地の出征兵士に送るために撮った兵士の家族の写真を99枚残していた。これを偶然発見したルポライター児玉は99枚の写真の家族の身元と歴史を探そうと下町を訪ね始めたが…



  

「百枚めの写真」一銭五厘たちの横丁 の見どころ

たった一銭五厘のハガキ1枚で、愛する者を戦争に奪われた無数の家族たち。
その家族写真に出会ったルポライター児玉隆也氏が書き綴った『一銭五厘たちの横丁』。この実話を舞台化したのが『百枚めの写真』です。
日本が、敗戦への坂を転がり始めた昭和18年、出征した兵士らの戦意高揚を目的に、慰問品として撮られたのが留守家族の写真でした。
昭和49年春、高度成長を遂げつつあった東京の下町で、99枚の写真に焼き付けられた氏名不詳の家族を訪ね歩くルポライターの児玉は、戦死した兵士の母と妻、その娘がひっそり暮らす根本家にたどり着きます。
根本家の昭和18年と終戦直後、30年後の姿を描きながら、舞台上のスクリーンに家族写真が映し出され、それぞれの家族のエピソードがナレーションで語られます。
優しさやぬくもりを感じる家族の写真、でも、それぞれの家族には、様々な戦後が刻み込まれていました。戦死した兵士の家族はもちろん、生きて帰って来た兵士の家族も深く傷ついていました。
戦争は誰をも幸せにはしないのです。 声高に反戦を叫ぶのでもなく、ただ真摯に生きる家族の戦後の姿を淡々と描く中に、かけがえのない家族への思いを、大切さを、改めて感じさせられます。
戦後70年を過ぎ、戦争体験者の話はやがて聞けなくなってしまいますが、この作品を観ることで、多くの人が、戦争について、平和について、考える機会になって欲しいと思います。
(松井サークル 松井由美子)




「百枚目の写真」豆知識


▼児玉隆也/原作
ルポ「淋しき越山会の女王」で金脈を追及し、田中内閣を倒す契機をつくったルポライター児玉隆也。
しかしわずか半年後、38歳の若さでガンで亡くなる。
金権政治、公害企業、戦争責任等を、そこに生きた「人間」の視点から追及した。

▼桑原甲子雄(くわはらきねお)/写真
家業の質屋の合間に東京を撮った。
生家がある上野や浅草が多いが、銀座・日本橋さらには渋谷、横浜、鎌倉・由比ヶ浜までも足をのばしている。
桑原は人間の生きる姿の痕跡、悲しみや辛さ、喜びや驚きを見つけようと彷徨い歩き、シャッターを切った。
この姿勢は当時日本の統治下にあった満州を撮った写真でも、戦後の写真でも一貫している。
「町臭い、人間臭いところ」ばかり写している。

▼ふたくちつよし/脚色・演出
主な作品には「山茶花さいた」「風薫る日に」「ダモイ〜収容所から来た遺書〜」「霞晴れたら」「こんにゃくの花」などがあり、 市井の人々の人生をユーモアとペーソスを交えて描いている。
俳優座・青年座・民藝をはじめ様々な劇団・プロデュース団体に多数作品を執筆、また演出を手掛けている。

▼ルポライター
社会的な事件・事象などを現地に取材して自らが見たこと、聞いたことを記事にまとめる人。

▼一銭五厘たちの横丁
「兵士の命は一銭五厘」と比喩したことから、その兵士たちの横丁という意味。
召集令状が一銭五厘のハガキで送られたからと言われている。
あれ?召集令状(赤紙)は役所の係員により直接手渡しされていた。召集令状はハガキでは送らたことはない。で、調べると諸説あった。
●召集令状は本籍地で交付されるため、住所が違う人に召集令状が来たことをハガキで伝えられた。
そんな経験をした人が古参兵とか下士官になり、「兵隊の代わりはハガキ一枚で済む」と言ったのが始まり。
●「一銭五厘で戦場に送られる」というのは、ハガキ代が1899年(明治32年)から38年間にわたって1銭5厘であったことから、その金額をハガキに見立てて、「一銭五厘」という安い金額で命さえ奪われるということを表現した。
●召集令状そのものも、1枚のハガキの形ではなく、ハガキ数枚分がつながった程度の大きさで、その中に配属先までの列車の無料乗車券もついていて、それがハガキ1枚ぐらいの大きさに折りたたんであったことから。
などなど、いろいろな証言もある。

▼召集令状
帝国陸海軍の召集のうち召集令状等はその色から赤紙などと呼ばれた。陸軍省による召集の大半において赤色が使われた。
以下は召集令状の各色・種類である。
・赤紙=陸軍省による充員召集、臨時召集、帰休兵召集、国民兵召集、補欠召集
・白紙=教育召集、演習召集、簡閲点呼 
・青紙=防衛召集
・紅紙=海軍省による充員召集

▼戦意高揚
おもに軍部が国民の戦争を続ける意欲を喚起すること。
この作品では家族の写真を前線にいる兵士に送り、意欲を喚起するために行われた。

▼出征兵士
戦前、成人男性は徴兵検査が義務づけられた。戦局が悪化するにつれ、動員数は増加。太平洋戦争末期には学生にも対象が広がった。
満州事変から終戦までに約970万人が兵士になったとされる。

▼復員兵
戦時編制の軍隊を平時体制に戻し、兵員の召集を解除すること。
また、兵役を解かれて帰省すること

▼下谷地区(したや)
東京都台東区のおよそ西半分を範囲とし、江戸・東京の下町を構成している地域のひとつである。
下谷は浅草・本所・深川と並ぶ、東京下町の外郭をなす。




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