もどる

第86回例会

2015年8月 未定

こまつ座公演 

  父と暮せば

■作 井上ひさし
■演出 鵜山仁
■出演 辻萬長 栗田桃子

「うちはしあわせになってはいけんのじゃ」 愛する者たちを原爆で失った美津江は、一人だけ生き残った負い目から、恋のときめきからも身を引こうとする。
そんな娘を思いやるあまり「恋の応援団長」をかってでて励ます父・竹造。 「わしの分まで生きてちょんだいよォー」 父の願いが、ついに底なしの絶望から娘をよみがえらせる、魂の再生の物語。

■ストーリー
1994年、戦後49年目の年に誕生した二人芝居『父と暮せば』。
原爆投下から三年後の広島。市立図書館で働きながら、一人静かに暮らす美津江の胸の内には、ほのかな恋心が芽生え始めていた。そんな美津江の目の前に、突然として父・竹造があらわれる。自分の恋心を必死に押さえつけようとする美津江に、竹造は全身全霊、懸命なエールを送るのだが・・・・・・。
次世代に、そして全世界に語り継ぎたい、井上戯曲の最高傑作にしてこまつ座のライフワーク !!




この例会の見どころ

 奇妙な、奇妙な舞台! 重い、深いテーマのくせに、軽くて喜劇調! 幽霊と娘の二人舞台なのに、軽くて違和感がない。仲の良い父娘の掛け合いのはずなのに、口喧嘩ばかりしている。装置も照明も暗いのに、将来明るい希望が見えてくる。
 広島原爆投下の3年後の屋根の欠けた自宅、ピカで、家族を失い一人住まいの「福吉美津江」は、地域の図書館員。そこへ幽霊の父、「福吉竹造」がやってくる。娘がやっと恋をしているらしい相手は、原爆資料研究の若い物理学者である。さてこそ、ござんなれ。父の幽霊は、恋の応援団長を自ら買って出た。ところが、娘は消極的。「私が一人幸せになっちゃいけん!原爆資料は預かるが、交際は断りますバイ。」「何をぬかすか、この親不孝もん!」親父カンカン、娘きっぱり。「だって私はお父さんを見捨てて逃げたんだも。」
 さてこの恋の結末やいかに。
 二人の広島弁、地方色が出ていて、そのくせよく分かる。父親役辻萬長の熱演が見ものではあるが、最後に「福吉美津江」(女優栗田桃子)の、にっこり笑う可愛い笑顔が印象的。軽くて、重い舞台!である。僕らはその軽さに笑い、重さは後で考えたい。(沙羅  小野忠人)




「父と暮せば」の運営サークルに参加して


平和について考える機会を持てて
8月例会を選んだのは、「翌日お弁当不要」というつまらない理由でした。でも戦後70年の今年、この作品により深く触れることができて良かったです。
 プレミーティングと例会後の交流会以外は、参加することができました。なぜか私の出席する会議の時は、ご都合の悪い方が多いようで、二人とか三人の時がありましたが、気楽にたくさんお喋りができてそれはそれで楽しかったです。まとめの会でいただいた甘いものも美味しかったです。
 映画のDVDを持っていて、お話は知っていました。夏期代表者会議で演劇鑑賞会の理念を再確認し、また、全国の幹事会の戦争法案反対の文書をいただきました。この作品を通して、この時期に運営サークルで平和について考える機会を持てたことはラッキーでした。
入会してまる2年、3回目の運営サークルです。新しい出会いもあり、すばらしい刺激をいただける場として今後も楽しみたいです。
(ふたば 川居徳子)

●僕の世界が広がりました

今回、初めて運サの一員として例会運営のお手伝いをさせてもらいました。
一時の上演の場だけではわからない、いろんなご苦労がよくわかりました。運サ、少しじゃまくさい集まりですが、いろんな方と出会え、また僕の世界が広がり嬉しく思いました。
この劇の粗筋は聞いていましたが、詳しい事は何一つ知らないまま席に着きました。父と娘の淡々とした、時にユーモアを交えた会話で進みます。父を原爆で失った辛さ、悲しみ、父への思いが淡々とした中に深く表現されていると感じました。「うちは、おとったんを地獄よりひどい火の海に置き去りにして逃げた娘じゃ」の台詞が、僕にずしっと重く響いています。激しい言葉はありませんが、やさしく強く感情に訴えてくる作品でした。どこかの首相に観せたい。「政治は数字じゃなく、人の痛みがわかることなのだ」と。
(沙羅 古松了祐)




「父と暮せば」運営サークル活動報告

『父と暮せば』は原爆をテーマにした二人芝居で、戦後70 年のこの夏に最も相応しいお芝居です。
DVD 上映会に続いて、6 月28 日の井上麻矢さんによる魅力を知ろう会では、井上家のこと、井上ひさしさんの広島・長崎・沖縄に対する思い・創作に対する姿勢等聞かせていただき、
運サメンバーの間にこの作品を「一人でも多くの人に観てもらいたい」との思いが高まりました。
熱い思いで持ち寄り目標21 名達成に向けてお誘いを続けましたがなかなか入会に結びつかず、残念ながら新入会17 名と前例会クリアだけは果たせた結果に終わりました。
運サの心が一つになり平和を祈って千羽鶴を折ったり、対面式では団扇を使ったパフォーマンスで広島・長崎・沖縄を語り継ぐことをアピールしたり、知恵と手間をかけてお通しを作っ
たりとメンバ−の積極的な活動に支えられました。
また交流会は熱演の後、お疲れにもかかわらず役者さんがお二人とも参加して下さり大いに盛り上がりました。
今回は若い人にも是非この作品を観てもらいたいとの思いで¥500 の学生優待を企画し、10名の参加がありました。
運サ会議では演鑑用語の学習もおこない、正しい意味を知ることがより深く演鑑を理解することに繋がり良い活動ができたと思います。
(無根水 栗林多果子)



こまつ座「父と暮せば」
辻萬長さんにインタビュー


●原爆投下70年、戦後70年という節目の年にこの『父と暮せば』を演じられるお気持ちは?
原爆投下というのは大きな問題なので、70年目とか言う問題ではなく、そのようにレッテルをはろうとする世の中の動きが好きではありません。常に考えなくてはいけない問題というのが私の基本です。70年目だからやるとかいうのはあってはならないと思います。いつするのであっても変わらないというのが答えです。

●若い世代に事実を伝える被爆体験者が少なくなってきていること、安全保障関連法案に反対する若者の動きなどを受けて、今この作品を演じることの意義は?
今一番問題なのは、戦争法案を阻止しなければならないということです。なぜかというと、戦争というのは、最終的にはこの芝居のようになり、つらい別れをすることになります。戦争を始めることは簡単だが、やめるのは難しい。やめろやめろと言われてもやめられなくて、被爆というような悲惨な目に遭ってやっとやめましたね。 この作品が描くのは、原爆がどうのこうのというのでなく、親子愛なんですね。父は娘を思い、娘は父を思う。その気持ちを井上さんは書いて、その結果として、原爆という問題を伝える。芝居の中で地道に親子愛を伝えていけば観たお客さんが気づいてくれます。

●親子の情愛を伝えるこの作品の中で使われる広島弁が優しく感じられますが、ことばに対して感じることは?
やくざ映画で広がった広島弁はきたないですが、昭和20年前後の広島弁は優しく美しいですよ。井上さんは長い時間をかけてそれを調べました。この作品は戯曲で、文学だから美しく書かれていると思いますが、井上さんがどうしてそこにこだわったのか、原爆を落とされると文化がなくなってしまいます。言葉は人間だけが持っているすばらしい文化です。方言はその地域で育ったすばらしい文化なのに、それが原爆で一度になくなってしまう。まだそれでも生き残った人がいたからなんとか伝わってきていますが、あの美しい広島弁を話せる人がどんどんなくなってきています。あの原爆でたくさんの人が亡くなり80代くらいの人が少なくなって、若い人に伝えられない。井上さんは美しい広島弁を伝えようとしてこの作品を書かれています。井上さんがこだわるのは言葉。原爆でそれがなくなることを本当に残念に思われていました。「ありがとうありました。」なんて言葉の使い方がすばらしいですね。井上さんというのはすばらしい作家です。芝居を観た人が、「おばあちゃんがこんな言葉を使っていました。」広島の人がそう感じる言葉です。僕は九州の佐賀出身で、九州弁は放り投げるような感じですが、広島弁には「うねり」があり、高低差があるので方言指導でそのうねりを覚えた上で感情をのせる。それをやってはじめて「広島弁はいいなあ」と伝わるのですから、ないがしろにできず一生懸命です。

●こまつ座の唯一の所属俳優という理由は?
こまつ座は劇団でなく制作会社です。劇団こまつ座とはいわないでしょ。俳優のいない制作部だけです。僕が事務所を辞めたとき、井上さんがスケジュールの電話連絡だけなら内でやりますよと言ってくださって、それに越したことはないとお願いさせてもらいました。僕は井上作品が一番好きで井上作品だけをずっとやっていたらこんな楽しい人生はありません。今度こんなことをやるのだという情報もつかめますし。

●彦根に対しての思いと、鑑賞会というと地方公演、その面白さは?
彦根は有名すぎて。彦根城に時代劇の撮影できたときに城を見学して彦根の大部分を見た気になっています。本当は詳しいことはわからないのですが。
彦根は会場が大きすぎて残念。どこからみても同じで、100%伝わることが大切です。「お前」(小さい声で)伝えられるのに、「お前」(大きな声で)と言わなければならない。違うんですよね。彦根にも京都くらいの、それでも大きすぎるんだけど、そんな大きさの劇場ができると会員も増えるかもしれませんね。

●今年12月に公開される映画『母と暮せば』にも出演しておられますが
山田監督から「このシーンに是非」というお話がありまして出演することになりました。井上さんは作家である以上、広島、長崎、沖縄は書かなくてはいけないと思っておられましたが、沖縄は企画だけ他の人に譲り書けず、広島は『父と暮せば』で書いた。井上さんの長崎の構想は映画と違って、広島は娘の方が若いが、長崎は亡くなった母の方を若くする。なぜなら死んだ人間は年をとらないから。母は若くして死んだから若いまま、悩む年取った息子の前に現れる。広島と長崎の作品を関連づけようとするから時間がかかりますが、制約の中で書こうとするからよい作品ができます。井上さんが書かれたらきっと爆笑の二幕になっていたでしょう。『母と暮せば』を舞台化するのは難しいですね。企画ができているからと言って井上さんの思いを作品にするのは……。井上さんはそんなたやすい作家ではありません。悲劇を書くのはたやすいが、悲劇を喜劇にするのは難しい。「悲劇だが終わったとき観客が泣きながら笑っている作品を作りたいと思うから時間がかかる」と井上さんが言っておられたのは本当だと思います。きつい制約の中で井上さんは作品を書いていました。井上さんのような人が出てくるには何年もかかるでしょうね。



もどる