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第81回例会

2014年6月3日(火)

劇団民藝 公演

  八月の鯨

作=デイヴィッド・ベリー 
訳・演出=丹野郁弓

スタッフ

装置……勝野英雄
照明……前田照夫
衣裳……宮本宣子
効果……岩田直行
舞台監督……中島裕一郎
キャスト

サラ……日色ともゑ
リビー……奈良岡朋子
ジョシュア……稲垣隆史
ティシャ……船坂博子
マラノフ……篠田三郎(客演)

【ものがたり】

リビーとサラの姉妹は毎年、アメリカ・メイン州沿岸の島にあるサマーハウスで夏を過ごすことにしている。1954年の8月、鯨の訪れを心待ちにする姉妹だが、もう昔のように鯨がこの島にやってくることはない。目が不自由になった姉のリビーは、他人に依存しなければ生きてゆけない自分に腹を立てていた。ますます気難しくなった彼女には、面倒見のいい妹のサラもさすがに手を焼く始末。そんな頃、幼なじみのティシャがサラにある提案をする。リビーを施設に預けて自分と暮さないか、と言うのだ。迷うサラ。さらにロシアの亡命貴族マラノフの登場で姉妹の間には微かな波風がたつ……。





   

八月の鯨の運営サークルに参加して

素晴らしい出会い

今回の運サに参加したことにより、素晴らしい出会いがありました。例会の搬入が終わり、お迎えに行かせていただいたら出演者のティシャ役の船坂博子さんがなんと高校の3年後輩の方でした。翌日もお話しする機会があり、大変嬉しいひと時でした。お話によると森光子さん主演の「放浪記」に1300回程出ておられるそうで、早速Eテレでの録画を見ましたが森さんのお母さん (行商) 役でとてもよかったです。また、搬入時に、重たい板を運んでおられた近江八幡からの年配の方々が、演劇鑑賞会の最初のころから活動されているとのことに頭が下がりました。こうして20年続き、このチームワークが素晴らしいと思いました。「八月の鯨」心に残る素晴らしい作品でした
(こまくさ 竹松みすゞ)

運営サークルの楽しみ

入会して数年は当日鑑賞だけの会員でしたが、サークルが根分けする事になり、2人会員で私が代表者になってしまいました。
運サ会議の案内をいただき事務所に行ってみると、以前労演で鑑賞したことのあるチラシが貼られてあり懐かしく思いました。根分けして2〜3年過ぎ、今では会員が7名となりました。運営サークル活動も複数参加を心掛けています。
 ある時、都合が悪く運サ会議を欠席したら、会報担当者から今度の「てけれっつのぱ」の見所をあなたに書いて欲しい。しかも期限が3〜4日後。浅はかにもお受けしてしまった自分に後悔しながら、台本・パンフ・チラシをお借りして、久しくした事のない猛勉強・・・。やっと書き上げました。長セリフの多いこと。出演者もすごいなあーとただただ驚くばかりでした。当日は場面、場面が目に浮かぶようで、今までの何倍も深く楽しむ事が出来ました。その後、毎例会台本を読んでいます。今では運営サークルに参加出来て良かったと感謝しています。たくさんのお出会いもありました。
今回の例会「八月の鯨」も当初に台本をお借りし、学習会での食事会にも参加、京都にも下見に行き芝居の理解が深まりました。運サ会議では演目の紹介もありますが、より一層芝居を楽しむためには、是非皆さんにも観劇前に一度事前に台本を読んでみる事をお薦めします。
(ライラック 島本)

人とひとのつながりがきっと次に

毎回運営サークルになると結構緊張している自分がいます。「各サークルの代表者の方々は、どんな方たちだろう。」「うまく会員を増やし前回クリアが出来るかな?」果ては、「仕事との調整ができるかな?」などなど不安な気持ちをもってプレミーティングや第1回運サ会議に参加しました。「案ずるより産むがやすし」の諺があるように、運サのメンバーの方々とお会いしお話を重ねていくたび、楽しい笑い声や前向きな意見に背筋がピンとしたり…  とても雰囲気がよく楽しかったです。その効果もあり参加率も高かったようです。目標会員620名には届きませんでしたが、人とひとのつながりがきっと次に良い結果を生むと信じています。次回の運サは、より頑張りたいと思います。



八月の鯨のアンケートから

▼1つひとつのセリフに心惹かれるものがあった。人生の終わりの美しさを感じた。
▼名優とはいえ、流石だと思いました。1つ1つの言葉が80才の私には、その通りと共感。それが分かることが、今まで生きてきた証とも思いホッとしました。
▼五人の役者さんそれぞれ存在感があり、取り立てて事件が起こるわけでもなく平凡なストーリーだけれど、それだけに役者の力がなおさら光っていた。静かな舞台だけれど、老姉妹からの生きることへの確かなメッセージが伝わった。
▼奈良岡さん日色さん、篠田さんの言葉がはっきり聞こえて良かった。人生について考えさせられました。
▼音楽が素敵でした。
▼奈良岡さん日色さんのお芝居をこんな近くで見られて感激です。お二人の声の張りに今まで生きてこられたプロセスを見せて頂いたように感じました。終活という言葉を良く聞きますが、長すぎない人生をぜひ私も作りたいと思いました。
▼姉妹の気持ちを素直に言っていることがすごいなあと思いました。
▼良い舞台をしみじみと味わいつつ、過ごさせて頂きました。舞台のすばらしさ、細やかな心遣い、そして海鳴りの音にも心打たれました。


日色ともゑさんにインタビュー

   ●役者になられたきっかけは?
それだけでお話しすると1時間以上かかることになりますよ。きっかけってないんですよね。今、政治が騒がしいですが、あのときは60年安保で、あれがなかったら新劇に入ることもなかったですね。民藝というより、この新劇という世界に入らなかったですね。ちょうど60年安保世代、61年に劇団に入りましたから。私は映画が大好きで、映画やテレビで見た滝沢先生や宇野先生とか、そうそうたる新劇の重鎮といわれた人たち、別の劇団で言うなら千田是也さんたちが、私の前を安保反対のデモで通ったんですよ。日比谷公園の交差点だったのですが、デモを見て、初めて新劇と言われる人たちが、お芝居をするというだけでなく、世の中の動きに対して自分の意見をはっきりと、こんなにも整然とした形でデモしているというのが感動的でした。今まですばらしい映画をいっぱい見てきたけど、どんな映画よりもあんなすばらしい光景を見て呆然として、それでこの人たちと同じ空気を吸うにはどうしたらいいかと考えて、もちろん試験を受けて劇団に入らないといけないんですが、たまたま父が新聞記者だったものですから、いろんな情報をくれて試験を受けて入りました。たとえば、奈良岡さんのこういう新劇を見て感動したとか、山本安英さんの『夕鶴』をみて感動してというのは一切ないんです。新劇を見たことがなく、歌舞伎は知っていたのですが、父が軽演劇の専門だったものですからエノケンさんとか、古川ロッパさんとか、あと新派、新国劇の記事を書いていたものですから、その世界はよく知っており、連れて行ってもらったり、落語もよく寄席に行っていました。でも新劇というジャンルがあることも知らず、あの人たちは映画のスターと言われる人たち、滝沢さんや宇野さんや芦田伸介さん、映画の世界ですばらしい作品を私に見せてくださっている方たちが私の目の前をデモ行進している。これはなんなのって?って感じ。すごいいい出会いをしたなって。それがなかったら新聞記者しているかな ジャーナリストにはなりたいと思っていたから。すごい出会いでした。
1960年の6月15日以降というのはわかるんですよね。なぜかというと、6.15です。樺美智子さんが亡くなったのが6月15日ですね。その記事を読んで、こんなことがあっていいの?と思っていた矢先だったので、デモ隊と遭遇したのはまるで未知との遭遇だわね。それで、15日以降20日までの間なんですよね。

●劇団に入られてどうですか?
奈良岡さんは、雲の上の人でした。それが今姉妹の役というのはなんとも感慨深いものがあります。
宇野重吉という人は私の入った俳優養成のための教室、つまり学校の校長先生だったので、怖いけど優しい、私たちを導いてくれる先生、この人について行けば正しいところに連れて行ってくれるという信頼がありましたね。あの頃先生は40代後半で劇団を運営していて、私たちにそんな信頼感を与えておられたかと思うと、なんて大きな人なんだろうと今思うんですよ。というのは、 明日私は73歳になるんですが、それは、先生の亡くなられた年なんですね。私、先生と同い年になるんだと思って。それを考えると私は何をくよくよしているんだろうと考えてしまいます。これっぽっちの人間だと思うとがっかりしてね。だから偉大な人なんですよね。大きいなあって。先生って感じですからね。奈良岡さんや大滝さんの方がワアアという感じでしたね。
 滝沢先生は、別格に偉い人で、映像からの感じですといつも悪い役をやるんですね。その下でワアアと働いているのが大滝秀治さん。だから滝沢先生という人はこわいというのを通り越したような存在で、おはようございますって言えるだけで幸せって感じでした。
北林さんはいつもおばあちゃん役をやっている人ですが、こんなに若くてきれいで華やかで、とてもおしゃれな人で、きれいなお洋服を着ている。これがあの『キクとイサム』やら『ビルマの竪琴』のおばあちゃんをやっている人?とびっくりしている間に50何年経ってしまって。あれよあれよという間に10年過ぎ20年過ぎという感じですかね。あんまりこれがやりたいあれがやりたいという欲もなかったから、たぶん長続きしたかなと思います。
すごい方たちと一緒にお仕事をして、ほんとに幸せですね。この頃よくBSなんかで古い映画をやっていますが、うちの先生方や先輩たちが活躍していて、ほんとに日本の文化というか映画界を支えていたんだなあ、脇役でもそういう人がしっかりと支えているから、たとえば石原裕次郎さんのように真ん中にいる人が引き立って、すばらしい作品ができるんだなあって今感じるんですね。そういう意味で日本の戦後の演劇界を引っ張ってこられた人たちと一緒に仕事が出来るというのは、それが通行人の役だったとしても幸せですよね。同じ空気が吸えるって。
入って3年目の頃に、滝沢先生が『夜明け前』の青山半蔵の役をしたときに、1部のときには、子役でしたが、2部の時に、先生が早替えをするのが、10回くらいあったのかな、たとえば黒足袋から白足袋にとか、黒い襟から白い襟にとか、男帯とか全部変わるんですよ。その早替えを任せられて、あれはすごくがんばった。ものすごくいい勉強になりました。着付けとか、袖にいて先生が舞台に出られるまでずっとそばにいて、息をのみながら先生がすっと出て行くというのを身近にずっと見ていましたので幸せでした。なんか、それだけで幸せって感じでした。

●『八月に鯨』では、日色さん奈良岡さんともに実年齢に近いですよね。
サラ75歳という設定で、私は、明日で73歳になりますから実際の年齢に近い設定ですね。奈良岡さんのリビーと私のサラとは11歳年が離れているという設定で、朋子姉とは一回り離れていて同じ巳年なんですよね。だからほぼ実年齢ですかね。でも、舞台が1954年ですよね。 54年当時は75歳というのはもっと老けていたのではないかと思いますが、演出家の丹野さんがそういう風に意識せずに今のままの日色さんで、奈良岡さんでやってくださいとおっしゃってくださっているので、変に老けを作ろうということはしていないんです。そのままの私でやっています。

●年齢を重ねて、経験を重ねて、こういう役をされるのは、どういう思いがありますか?
劇団児童部とひとりで呼んでいるんですが、子役専科とか。ちっちゃいから若い役が多かったですね。それが年相応の役になってきたかなぁって。今年2月にやったテネシーウイリアムズの芝居は30代の役だったんですけどね。生活に疲れている人だからちょっとくらい老けてもいいかなぁって。
「八月の鯨」は映画でとてもヒットして、美しい海だったり、美しい風景が全部出てきて、子どもの時代とかも回想シーンで出てくるので、皆さんの印象の中に、80年代の映画なのですが、印象としてきれいでさわやかな心地よい風が吹いている映画、そこに年寄りの姉妹が仲良く暮らしているという印象を持っておられる人が多いでしょうが、実際はそうではない。姉妹がこれから年をとって、どう生きるのか、何年生きられるのか、姉のリビーは死に向かって始末をしていかなければならない。いろんなことをあきらめて。でも妹のサラはまだ自分の人生は終わっていないと思っている。姉妹がこれからどう生きるのかという非常に厳しい選択を問うている作品なんですよ。ですから、ハッピーエンドでなく、それぞれがどう生きていこうかなって。だから観る人が結末を考える作品なのですよね。
 観る人の立場によって見え方が変わる、それぞれの立場で観てくださいというんですが、観に来てくれた友達が、考えていたより厳しい芝居だったねとおっしゃる。考え込んじゃったって。観る人の立場によって、たとえば、介護から解放された人、介護のまっただ中にいる人、介護を受けている人。それぞれ見え方が違う。
テーマとは?見所は?と聴かれたときに、そんなもの言いたくないって。それぞれが受け取ってくださいって。こういう風に歩みなさいって道標を教えているんではなく、くみとってくださいという作品なんですね。今の自分とダブらせて観てくださっていいし、100人いたら100人の見方があっていいといつも思っています。
みんな長生きするようになって、 引退してからの人生が長いんですよね。私たちの場合は定年がなくて、宇野重吉さんは声が出る限り、体が動く限り、僕を観たいという人がいてくださる限り演劇をつづけられると言ったんですね。でも、一般的な社会というのは、60歳とか65歳とかで定年が来て、それからどう生きるかを考えなくてはならないでしょう。
女の人は開放的にいろいろ趣味を見つけて生きるけれど、男の人は難しいですよね。そこで何を見つけるかですよね。演劇を観に来てくれるといいなあって思いますね。客席が白髪だらけでいいんですよね。その人が、孫、子を連れてきてくれればいいなあって思いますね。民藝の芝居を観に来ると、客席が年寄りばっかりでとよく言われますが、ムカッときて。それでいいと思うんですよってお腹の中で…。

●題名「八月の鯨」の由来は?
  どうして八月なのかと聞かれるのですが、ほんとに短い夏なんですよね。アメリカのメイン州というのは寒いところなので、夏の間だけ滞在するのです。そこに鯨が来たのですね。日本だって鯨が来るところがありますよね。子どもの頃にはいっぱい鯨が来ていたのに、自然環境が変わって来なくなってしまった。それは自分たちの人生と同じなのですね。楽しくていろんな希望にあふれていた。でも今は何にも来なくなった。その幸せな時代は過ぎ去ってこれからどう生きていくのか。鯨が、イルカやアザラシが来なくなったこの場所で、さあどう生きるのかというメッセージが込められている。そう思うんですね。これは私の考えですが。
若い人が書いたのですよね。身の回りにリビーやサラ、マラノフというような人がいて、自分はベトナム戦争から帰ってきて、心が傷ついていて、そんなときに大叔母さんたちの生活を見て、忘れ去られたような人たち、汚いものを見るように見られている人たち、この人たちの人生はどんなだったのだろうと考えて書いた。
若い人が年寄りの芝居を書いたってのがすばらしい。大叔母さんたちは自分たちのことが書かれているなんて知らないんだけど、それが世界に広がって、みんなに見られてすごい。鯨も来なくなった、さあこれからどうするのかって。朝から始まって次の日の朝で終わってしまう、夏の別荘でのとっても短い時間を描いた作品なのですね。

● 彦根へ来られての感想はいかがですか?
お城にも今まで入ったことがなかったんです。400年間、戦いで焼けていない、日本で一番広い敷地のお城なんですってね。階段がすごい。頑張って上がってきました。 タクシーの運転手さんがいろいろ説明してくださって、無料券までいただいて。8,000歩近く歩きました。夢京橋を歩いて、姉にお土産をかいました。お漬け物とか、時代劇に使われていますよね。私も前にロケをしたことがあるんです。
ここと松本城がいいですよね。松本城は平城ですが、平らなところにあって、上らなくていい。ここは階段がいい。映画によく出てくる石段のところもいい。

●最後に鑑賞会へのメッセージを
設立20年ですか。20年だったらもう大丈夫ですね。でも油断すると難しい。日本全国大変で、これは鑑賞会だけの問題ではないのですが、でも一回なくなってから立ち上げるのは大変ですよ。うちの劇団でも、仲間の会というのがありますが、やはりどんどん減っています。どうしたらいいかって樫山も私もいろいろ考えています。そういうとき阪神・淡路大震災で被災した神戸労演(現神戸演劇鑑賞会)のことを話すんですよ。何ヶ月かして民藝の作品上演後、担当サークルの人たちと交流会をしたのですが、そのときのサークルの人たちの言葉に、「日本全国から支援物資が集まり、応援してくださったのですが、何がつらかったって芝居を観られないということが一番つらかった。でも、やっとまた、観られる日が来た。」と『若者たち』を歌いながら肩をくんでオイオイ泣いたことを。
続けていれば何とかなる。話し合いを続けるだけでもいい。私一人くらいといってやめてはいけないですよ。
  また、私たち俳優は、いい芝居、舞台を作っていくことしか、出来ることはありませんね。

事前学習会報告

4月17日(木) 13時30分〜15時30分、「ひこね市文化プラザ」で20サークル23名の参加でした。【運営サークル10サークル12名・運営サークル以外から10サークル11名】
名残の桜が美しい彦根が今回で4回目という金本さんのお話は、面白おかしく民藝入団の話から始まり、俳優さんの裏話も含め民藝の演劇に対する真摯な姿勢などもお聞きすることができました。
この『八月の鯨』の作者のデイヴィッド・ベリーが、この作品を最後にしょうと思っていたのが、日本での『八月の鯨』を見て感動し、もう一度戯曲を書こうと決心されたそうです。このことを聞くだけで期待は高まります。
作品は、「静」そのもので、「生きる」がテーマであり、ひとり一人自分自身の心に響く言葉やシーンを切り取ってほしいと金本さんは、話されました。
今回の訳と演出の丹野郁弓さんは、奥様であり、「会話はいつも演劇のこと…。」とお話されたのが素敵でした。
“劇団民藝は、年末に劇団員全員でお正月のお餅を搗き全国の関係者の方々に発足当時から送っている。面倒だからやめようと話が出るが、顔と顔、人と人がつながり意味がある。時代と逆行しているようだが、同じように演劇鑑賞会も敢えて事務所に会費を直接持参、搬入、搬出など大変だが関わることの大切さがある。演劇は、演じる側と客席とが作るもの。”
時代とともに変わるものが多い中、大事なものは何かということを感じられるお話でした。
凛とした奈良岡さん、いつまでも清楚で可憐な日色さん、ダンディーな篠田さんの静かな会話を楽しみたいですね。

事前学習会参加アンケートより

●初めて事前学習会に参加しました。結構楽しい時間を過ごしました。役者さんの話、劇団の話など興味あふれる内容でした。金本さんの話術にはまって時間を忘れた。出来れば次回も参加したく思います。 
●「八月の鯨」金本氏彦根4回目とのこと、すごいですね。民藝の入団のお話大変面白く聞けました。世の中デジタルになる中、演劇は生でアナログを大切にしないと。手作りを大事にしないといけないなあと感じました。静かな中で本質のあるお芝居を見ることができる気になりました。実年齢であるがゆえに伝わる期待できるお芝居であることが大変よく分かりました。
●演劇は「生」、その良さは、人と人とのふれあい、生き方を考えるもの。自分も今61歳、退職して、次にどんな生活を 生き方をして行こうかなと考えているところで、今日良い話を「生」で聞かせていただいて良かったです。話もおもしろくて、楽しいひとときを過ごせました。今後の観劇の見方が変わるかな。              


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