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第72回例会

2012年9月4日(火)

劇団俳優座公演 

 『樫の木坂四姉妹』


 スタッフ

作:堀江安夫/演出:袋正/
美術:内山勉/照明:森脇清治/
効果:田村悳/衣裳:若生昌/
方言指導協力:長崎市民劇場/
演出助手:落合真奈美/舞台監督:葛西百合子/
制作:山崎菊雄・沖真裕子/後援:みなと・9条の会

 キャスト

大塚道子/岩崎加根子/川口敦子/
平田朝音/大庭藍/桂ゆめ/
小澤英恵/小澤木の実/河原崎次郎/
武正忠明/脇田康弘


新劇を代表する大塚道子、岩崎加根子、川口敦子が競演する堀江安夫渾身の書き下ろしを、長崎に魅かれ続けてきた袋正が演出します。

河原崎次郎、武正忠明等が加わり豪華な出演者が織り成す俳優座ならではのアンサンブルにご期待ください。

●ストーリー

その坂道は樫の木坂と呼ぶ。長崎港を望む坂の中腹に樹齢数百年を超える樫の老木があるからだ。
人々はその威風をたたえ、神木として保存してきた。
だがその老木も1945年8月9日の原爆投下で息絶えてしまったと思われたが、翌年の春、一枚の葉を芽吹かせた。
今では道端からこの物語の舞台になる葦葉家の庭先までみごとな葉群を広げていた。
2000年、長崎は夏を迎えようとしていた。
被爆者であるさん姉妹の生活を撮り続けてきたカメラマンの洲崎はその日、部屋のピアノについて尋ねる。
それは四女が双子の姉三女の供養のために購入したものだった。
あれから55年、ピアノの調べは若かりし四姉妹が暮らしていた頃へ誘っていく――。


●今例会のみどころ「樫の木坂四姉妹」


 先ずは見終わった後の感想から言わせてもらうと、これはあくまで主観的な感想だが、様々な点で「うーん……」と唸らせる作品であった事。しかし、それはけして悪い意味ではなく、ある種の“満足感”とでも言いましょうか。一過性や大袈裟に感動を与えるわけでもなく、と言って物足りなさもなく、つい自分が舞台上にいるかのような錯覚さえ覚えるほどストーリーに引き込まれ、そして終演を迎えた時に人知れず一筋の涙が零れ落ちている。いや、確かに落ちていた。わたしにとってはそんな作品であったと思う。但し、先に言ったようにあくまで主観的な感想なので、会員の皆さんがどう感じるかは……
 一つ言える事は、非常にバランスの取れた作品であるという事。脚本、演出、演技、その良さをそれぞれの役割が引き立たせている。さすがは老舗の劇団「俳優座」と言わざるを得ない。
 脚本は日本語の持つ魅力を巧みに使い、方言で語られ、時折駄洒落で笑いを誘う。更にはこの物語の舞台が長崎である事を強調する台詞が嫌味もなく入っている。演出に派手さは持たせてはいない。日常の風景をあくまで日常として作り上げられている点が、この物語の本質を表していると思う。そして一つ注目してもらいたいのが、暗転幕に描かれた樫の木である。蛍光塗料で描かれているのであろうか、冒頭と暗転毎に闇に浮かび上がる樫の木の美しさ。それが美しくもあり、切なくもある。江戸時代に唯一海外に開かれた港町長崎。その明るさ、陽気さ、美しさ。その反面、キリシタン弾圧、そして今回のメインテーマである原爆投下による被爆の街としての暗い過去。その両面を、あの暗転幕に描かれた樫の木の輝きは象徴しているのであろうと思う。そして、その脚本と演出を見事に消化し、小気味よいテンポで観ている者を飽きさせず、それでいて無駄のない演技。“これぞお芝居”と思われる方もおられるのではないか。
 ストーリーについては、笑いがあって涙がある。時には悩み、時には苦しむ。そして怒り。わたしたちがごく日常の中で感じる喜怒哀楽。この物語はその日常を表現したお芝居。但し、この物語の主人公たちにはあまりにも残酷な日常。変わる事のない過去。癒える事のない傷。終わる事のない戦い。それらを抱えながら生きる日常。それがこの物語なのである。難しい事を考える必要はない。頭で整理しながらストーリーを追う必要もない。考えるのは観終わった後。いや、きっと見終わった後に何かを考える事になるであろう。だからこそ、今例会作品は是非心で感じ取ってもらいたい。きっと心に響くものであるから。
 最後に、この演目のテーマソングは、わたしたち滋賀県民には馴染みの深い「琵琶湖周航の歌」である。何故舞台が長崎であるのに「琵琶湖周航の歌」なのか。その理由については例会当日お芝居の中からという事で。
 役者さんの演技。台詞の組み立て。暗転幕に描かれた樫の木。そして「琵琶湖就航の歌」。それらを見どころの一つとして楽しみながら、特に第二幕目から終盤にかけてはハンカチを用意して今例会作品「樫の木坂四姉妹」をご観劇下さい。
(つばさ 小林義博)

「樫の木坂 四姉妹」事前学習会

  劇作家 堀江安夫氏をお迎えして

 開催日 7月14日(土) 午後1時30分〜

 会 場  彦根市市民会館2階

会場には「樫の木坂 四姉妹」の舞台「長崎市」にちなんで大浦天主堂をはじめ被爆した樫の木など沢山の写真が展示され、クロスを敷いた各テーブルには長崎市を象徴する市花の「あじさい」が飾られ、文明堂のカステラと紅茶が1人1人に振る舞われ長崎情緒あふれる雰囲気の中で事前学習会が始まりました。
 

運営サークルの藤井加代子さんの挨拶のあと、松本清史さんが司会に立ちました。
堀江さんは1949年(昭和24年)生まれの63歳で、明治大学を中退され、20代は色々な職業を転々とされたそうで、30代になって縁あって文化座制作部に入られ、鈴木光枝さんや佐々木愛さんに付いて制作を担当し機関紙や宣伝物の発行、スタッフの世話から渉外に至るまで色々な仕事をしているうちに、芝居になっていく過程の奥の深さや面白さを知る事になったとのことです。

長崎との出会いは芥川賞作家の林京子さんの「青春」を読んでから、主人公や原爆症の事が頭から離れず虜になり、当時所属していた青年座に舞台化を働きかけて苦労して実現にこぎつける事が出来たとのことですが、以来長崎を舞台にと気持ちを膨らませていったそうです。
「樫の木坂」は主役の3人の役者さんを頭に置いて、1週間ほど寝ないで一挙に書き上げられたそうですが、林さんの作品に出合ってから15年も経っていたそうで、その想いを燃やし構想し続けられた期間の長さは、「樫の木坂四姉妹」が「深い感銘を与える今年屈指の秀作」と評されるゆえんではないかと思った次第です。

文化座の粗末なバラック建ての中で役者さんと一緒に苦労された話は、いまも役者さんやスタッフの皆さんに通じる話ではないかと心に響きました。
脚本を書き上げたあと長崎弁に替えるエピソードや、「舞台創りは演出に任せる」「作家と演出は決して馴れあったらいけない」など脚本を作る方にしか言えない深い言葉など大変興味ある話でした。
 また大塚道子さんがこの作品で紀伊国屋文学賞に輝かれたことを伺ってとても嬉しく心の中で拍手をしました。
最後に長男の幸雄にちなんだ「琵琶湖周航の歌」(私達滋賀県の人間にとっても身近なこころのふるさとの歌)を皆で合唱して終わりました。
(ハーモニー 阿部)



俳優座 大塚道子さんにインタビュー

●女優、大塚さんの印象深かったことなどお聞かせください

数が多すぎてなにからしゃべればいいやら(笑)、終戦後の翌年から、16歳の年に千田是也さんたちが創られた演劇学校に今までいた学校をやめて入ってから64年になるんです。
18歳のときに俳優座に入門してから62年、長くやっているから良いというわけではなく、ときどきアカをそぎ落とさなければならないのですけれど…。
よく終戦の混乱期に16歳の娘が、今の時代と違ってよく母が許してくれたと思っています。父は、満州に弁護士の仕事で行っているすきに…
【テレビなどで凛としたお姿が印象的でしたが】凛としているというのは美しい言い方ですが、怖かったのではないでしょうか(笑)
苦労といえば、17歳のときに母が亡くなり、大好きな兄が劇団民芸の演出部に入ったのがきっかけで、お芝居の世界にはいったのですが、その兄も24歳のときに亡くなりました。
そのとき一人で死ぬまでお芝居をやろうと決心をしました。
戦前はお芝居を観たことはありません。東宝の「桜の園」をラジオで聞いたことぐらいです。最初に観たのは俳優座の旗揚公演のゴーゴリーの「検察官」でした。まだ、三木のり平さんがボーイさん役で出ていらっしゃる時でした。その三木のり平さんとの不思議なご縁で森光子さん主役の「放浪記」で22年間も森光子さんの母役をさせてもらいました。
よその劇団の風を知った時でもありましたが、俳優座のお芝居も年に一度はやっていました。

●「樫の木坂四姉妹」の想いとか

自然になじんでできるお芝居です。それには理由があって、ご覧くださればわかるのですが、三高(現在の京都大学の前身の一つ)の寮歌「琵琶湖周航歌」と「紅萌ゆる丘の花」がでてきます。実は亡くなった兄の親友が私の初恋の人でした。このお芝居でもまたそうなのです。歌もその人から習いました。以前、脚本家の堀江さんにお話ししたことがあって、それが印象深かったようです。とても状況が似ていましたから、その上兄が早くに亡くなっています。
兄は七里ヶ浜で亡くなったのです。一日浮かばなかったんですよ。ところが兄の親友が海のむこうをずうっと眺めていたら、ぽっかりと兄の死体が浮いたらしくて、そのときは、民藝の滝沢修さんや宇野重吉さん、北林谷栄さんたちみなさんが来てくださいました。
私はそのとき本当に泣けなくって、悲しすぎてボーっとしていたのです。あとで心配されまして「きみは我慢しているから後でがっくりくるのではないか」って多々良純さんも心配してくださいました。
七里ヶ浜にみなさん集まってくださって、そんな風ですから、ただ私が申し上げるのは、舞台の上では窪川さんが初恋の人なんでけど、私は最後に「会いとうて、会いとうて」と言うのですけど、芝居だったものですから。
この芝居では窪川さんは亡くなるのですけど、本当の初恋の人はしばらくずっと生きておられました。そこのところが違うんです。すごく若いときでしたからロマンチックな思いでなんです。
しかも状況が違うのは芝居では私が長女ですけども、私本当は末子なんですよ。だから長女の気持ちがそれほどわからないんですけれども、そのつもりでやっています。
この芝居がほめていただけるのは、三姉妹がまったくちがう女性で、それがうまくかみ合ったんで面白いんじゃないですかとおっしゃってもらっています。
三人の経験が全く違うんですものね。一番ドラマチックなのは次女のひかるさんだけど、私の役も、ゆめの役も違ったショックを受けていますから。
それと、長崎の原爆は3本やっています。それと「チェリノブイリの石棺」もやっています。
宮本研さんの「ザ・パイロット」は長崎に原爆を落としたアメリカ兵の悩みと被爆者たちの苦しみを書いてらっしゃるのを32歳ぐらいのときに70歳くらいのおばあさん役を増見利清さんの演出で演じました。原爆を落としたパイロット役は平幹二朗さん、私の息子役は井川比呂志さん、その子どもたちを山本圭ちゃん、佐藤オリエちゃん、なんかうちの黄金時代なんですよ。それでね32歳で70歳のおばあさんの役をやっていいのかなと思っていたんでけど、なんとなく不自然でなくできたんで、それとこの間、70歳すぎてからやらせてもらいました。
田中千禾夫さんの「マリアの首」もやはり長崎で、私は被爆者としてでるんです。長崎弁もわりとなれてはいるんですけど、それぞれの作品で文体がちがうので、少しちがうんですけど馴染んでいます。

●彦根の印象は
ホテルの方がお城の方をまわってくれて、大奥のとき重い衣装を着て懐剣などしていて見物という気分ではなかったです。
お城に入る橋があるところは何度もとおりました。輿に乗ってね。だいたい怖いおつぼね様役なので威張っていましたね。
懐かしいかったです。


樫の木坂四姉妹」の運営サークルに参加して

今回、初めて運営サークル(運サ)に参加しましたので、運サ活動の流れと感想を述べてみたいと思います。
@前回劇「鳴神」の舞台道具搬出
… 運サ活動の始まりです。スタッフの指示に従い、大切な道具をトラック近くまで運びます。大小、本当にたくさんの道具を作られた裏方さんのご苦労がしのばれました。とにかく幕は大きくて大変でした。
A事前学習会
… 劇作家の堀江安夫さんとのお話し会、経歴や作品への思いをお話してくださいました。同じ年代の方で親しみを感じ、これからもいい作品をと期待しました。夕は堀江さんを囲んでの交流会、会員同士の交流にもなりました。
B運サ会議
… 減った会員をなんとか増やそうと、事務所の壁に樫の木のイラストを貼り、会員が増える毎にドングリのイラストを付ける事になりましたがこれがなかなか問題でした。他にシール渡し、また、当日予定の細々したことの打ち合わせをし、今までの演劇鑑賞の感想を話し合い、気軽な世間話も勉強になりました。
C例会当日
… 午前中に「舞台装置」の搬入をしました。また、夕方は開場より早く行き、会員の皆さんにお渡しする資料をセットし、私は1階の入場受付をするためホールの入口に立ちました。1階からの入場者は、大体20名〜30名位でしたが、この入り口は1階客席やトイレに近く、エレベーターもあるので足の不自由な方やご高齢の方たちがもっと利用されると良いのにと思いました。
D終演後、俳優さんとの交流会
… 三姉妹役の女優さんとカメラマン役の俳優さんが、終演後にもかかわらず、元気に“一休庵”に来てくださいました。私は長女役の大塚道子さんと同じテーブルでしたが、大塚さんはとてもお洒落な印象を受けました。本当に若々しくお酒もよく飲まれ、若さの秘訣はよく眠ることだそうです。俳優座の長い歴史を背負ってご苦労も多くあったと思われますが、気さくな人柄で本当に楽しいひと時でした。みんなで写真を撮り、琵琶湖周航の歌を合唱し、最後は握手をしてお別かれをしました。

余談になりますが、交流会後、うきうきした気分で文化プラザの駐車場に戻りましたら、22時閉鎖を忘れていたため、駐車場のどこからも出られず、友人は自宅からお迎えを頼み、私は遠方だったので彦根の妹宅に宿泊し、翌日車を取りに行ってやっと帰れたという紙面に載せるのもお恥ずかしい失敗をしました。
(そばの花 M)
       


世界の中で唯一の被爆国である日本。
原爆が投下された長崎を舞台にした作品。
投下された原爆が数え切れないほどの多くの人々の心身に癒えない傷を残していることが伝わってくる作品。
心の琴線に触れ、知らず知らずに涙する、そんな素晴らしい「樫の木坂四姉妹」。
 
今回、運営サークルの一員として関わらせていただきました。合わせて5回の会議が行われたのですが、最初のうちは「ちょっと苦手な感じ」があったのは紛れもない事実です。目標会員数の達成に向け、どう取り組んでいけばいいのか?が、終始一貫した課題だったのですが「演劇の感動を多くの方にも知っていただこう」そんな単純明快な切り口が奏功したようで、前回と同数の会員数で例会を迎えられたことに感謝の気持ちが込み上げて来ます。
 運営サークルの活動を振り返る中で演劇を深く理解し様々な意見を交換しながら作業を進めていくうちに「ああ、この方はこんな素晴らしい方なんや」を発見することも多々あり「苦手」がいつの間にか「素敵」に変化していったことを自覚します。
演劇鑑賞会とは単に演劇を鑑賞するのに有らず、一つの演劇を通じて深く関わることにより、演劇ともサークルの皆さんとも気持ちを紡ぐ場であり機会であるのだと痛感しました。
今こそ、今だからこそ「演劇を通じて得られる感動を、ご一緒に!」と、声を大にして言えてしまいそうな私がそこにいました。
※上演当日は「影アナ」として、お耳にかかった私ですが、皆さまの心に真っ直ぐ届いたでしょうか?少々不安の残る私なのです・・
(わかば会ばばかずこC ばばかずこ)




 ひこね演劇鑑賞会の「年間例会5回開催」は会員の人数が基礎になっていて、健全な運営を行う為には5例会の会員数が平均650人維持される事が条件です。当たり前の事ですが、会員が自らの手で会員を増やし会を維持しなければ、誰も一切援助してくれません。サークルや会員が減っていく事も、増えていくことも会員の活動次第という訳です。「前例会クリア」という事は、減った会員を運営サークルの力で責任を持って取り返すという意味で、運サ活動の基本としている考えです。私達は前例会の602名をクリアするだけでは、ひこね演劇鑑賞会の安定が得られないので、例会クリアを最低限の目標とし、それを上回る「30名の新会員を迎える」という高い目標を持って新会員を迎える活動と平行して俳優座の皆さんを迎える準備を進めました。
運サの皆さんは猛暑の中を声かけとチラシ配布(1人30枚〜100枚)に頑張って下さいましたが、思うように結果につながらず悪戦苦闘の連続でした。運サ以外のサークルの皆さんや幹事や事務局の皆さんが運サを強力に後押しして下さったことで、やっとたどり着いた前例会維持の602名(迎えた新会員18名)でした。思い入れの目標は達成できませんでしたが、運サの皆さんが大変な猛暑の中を一生懸命活動して下さった事、劇団を迎える準備を各サークルが協力して熱心に進めて下さった事など、来年度に繋がる大きな財産になったと思います。
事前学習会は作家の堀江保夫さんに来て頂き、34名(運サ担当15名)が参加して脚本家としての視点から有意義なお話を興味深く伺いました。また終演後の交流会では出席者26名で主役の大塚道子さん、岩崎加根子さん、川口敦子さん、武正忠明さん、制作の山崎菊雄さんを囲み、突っ込んだ深―い話にも花が咲き感激ひとしおでした。色々と多くを学び、感動を沢山いただいた活動でした。
(ハーモニー 阿部洋)


正面には、劇の中心舞台と思われるありふれた民家の居間のテーブルと背面のピアノが印象的である。それらを際だたせているのは、やはり圧倒的な存在感で迫ってくる葉はついていないが力強さを感じさせる灰色の老いた巨木の姿だ。しかも民家を押しつぶすほどに家を抱きかかえるように立っている。舞台背景だけで何が起きるのだろうかとわくわくさせられる。姉妹には連れ合いやその家族はいないところが違和感を抱かせながら劇は展開し、挿入される両親とのひとときの平穏な暮らしと、それを消し去る8月9日の出来事。二女の表面的には自暴自棄的な生き方をだれが非難できようか。自分の周りで起こったことを自分自身に納得させられないもう一人の自分との葛藤を描いていると捉えたい。他の姉妹は自分を律して生きてはいるが、内面的には共感できる。か、または二女以上の秘めた思いを抱いているのだろう。
(チロリアンベルB, H)


アンケートの結果から

▼素敵な舞台をありがとうございました。原爆の記念日がこれからはこの舞台を思い出すことになると思います。せりふの1つ1つに感動し、落ち着いた役者さんたちに魅きつけられました。良かったです。本当に!! 感動してはじめて感想を書きました。 
▼素晴らしいお芝居で涙があふれました。今の時代の私たちは、本当に幸せなんだとこの時代の人たちの犠牲の上に、今の幸せがあるのだと改めて思った。女優さんたち皆さんが魅力的で生き生きと素晴らしかった。皆に伝えてほしい劇でした。
▼この年になって初めて劇場での芝居を拝見してとても感動しました。迫力がありとてもよかったです。改めて原爆の恐ろしさ、悲惨さを考えさせられました。
▼涙が流れた。三女優さんはさすがで役柄がとても深くとらえられていて迫真の演技だった。原爆が落ちる前の明るい家族を表現された若手の俳優さんの演技にも魅了されました。良かったです。
▼樫の木がとても印象的でした。家族が和気あいあいと仲よく過ごしていたとき……、そして生き残った3人の高齢になってからのそれぞれの心の中の痛みや思い……。いつも見守ってくれている樫の木。お姉さんの語り部の仕事の重み、深く感じ取りました。涙がとまりませんでした。
▼内容は少し重すぎた。出演者の至芸には感服した。原爆禁止は左翼運動と思っていたが、福島の原発事故を目のあたりにして、この芝居がすんなり観られました。
▼感動をありがとうございました。青い空を青いままで子供達に伝えたい。
▼人間を大切にしなければならない。この原点を思い起こし現在の問題を考えなければ、明日の日はないのですね。身近なイジメ等も確実に失くしたいものです。
▼感動しました。私達の今の幸せがもったいないとつくづく感じました。感謝しなくては……。役者さんもさすがのメンバーでした。ありがとうございました。
▼内容が良かった。舞台の設定が良かった。人物それぞれが良かった。台詞の一部が聞き取りづらかった。幕の樫の木が良かった。 



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