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第53回例会

2008年12月16日(火)

イッツフォーリーズ公演 

『おれたちは天使じゃない』

■作:   矢代静一、藤田敏雄

■演出: 藤田敏雄

■作曲: いずみたく

■出演: 福沢良一 井上一馬 西本裕行、
大場泰正、伊藤和晃、坂口阿紀、歌納有里、
三品英士、金澤君光、堀内俊哉、堀内保孝、
三好幸次、櫻井太郎、西國幸恵、五十嵐暁子、
中村むつぎ、山本沙奈子、木戸可奈子

 

☆作品について 

 昭和49年に西村晃、有島一郎、前田美波里などのベテラン俳優によって、西武劇場で初演され、その後いずみたくが主宰する劇団 
フォーリーズによって再演され、圧倒的な評判を呼んで、毎年繰返し上演されているヒット・ミュージカルです。     (パンフより) 

 脱獄囚・三人組の名前の由来は・・・ 
「ねじ釘の哲」は藤田敏雄のあだ名「ねじお」から 
「泉の三太」は「いずみたく」の泉をそのまま 
「キャンパスの助六」は「永六輔」の「六輔」を 逆にしたものから付けたそうです。 

「おれたちは天使じゃない」 の公演によせて

 年の瀬もおしつまった大晦日、雪深い山荘に三人の脱獄囚が逃げ込んできた。四人も殺したいかにも凶悪犯といった感じの「泉の三太」(井上一馬)、医大を卒業したインターンだったが、ボクサーの弟が八百長を断ったため殺されその敵を討って殺人を犯した「キャンパスの助六」(大場泰正)、親父と呼ばれ一見頼りなさそうだが、スリ、文書偽造、合鍵作りはお手のものの「ねじ釘の哲」(西本裕行)の三人は、偶然迷い込んだその山荘で、心ならずも、心中しようとしていた父娘を助けてしまう。
 父親(伊藤和晃)は、お人よしで事業に失敗し、知恵遅れの娘光子(歌納有里)を道連れに首を吊ろうとしていたのだ。光子は、自分を助けてくれた脱獄囚たちを「天使」だと思いこんでしまう。
 買い物から帰って来た姉娘エミ(勝部祐子)は、父と妹が心中しようとしていた事を知って愕然とする。そして家の中には見知らぬ怪しげな三人の男たち。そこへ父親の従兄弟黒川虎男(飯田和平)とその息子始(三品英士)が訪ねてくる。始はエミの婚約者である。
 三太、助六、哲の三人は、行き掛かりで父娘を助けたものの、何とか早くケリをつけて逃亡したいのだが、たまたま黒川親子の悪い企てを耳にしてしまう。黒川親子はにせもののピカソを父親に押しつけ、画廊、別荘などすべての財産を取り上げようというのだ。三人を「天使」と慕う光子、婚約者に裏切られたエミのことを思うと、これはほっとけないと三人は立ち上がる・・・・・。

 ミュージカル「おれたちは天使じゃない」は1974年、西村晃、有馬一郎、前田美波里らベテラン俳優によって、西武劇場で初演され、その後、いすみたくが主宰する劇団フォーリーズ(現イッツフォーリーズ)の若い劇団員によって再演、圧倒的な評判を呼んで、現在に至るまで繰り返し上演されています。
 初演以来30数年間で上演回数は約1500回に及んでいます。まさに、いずみたくが一貫してめざした「日本人の手による日本人のミュージカル」の金字塔とも言うべき作品です。
 全国各地で数多く上演されているため、何回か観た人もいますが、その人達の感想は、ほぼ例外なく「新しい感動をもらった」というものです。とくに、ミュージカルであるだけに、テーマ音楽の「翼のない天使」や終幕近くに歌われる「今、今、今」は、聴衆の心をとらえて離さないといいます。
 どうか、ひこね演劇鑑賞会のみなさんも、ハンカチ片手にたっぷりと楽しんで下さい。
                 ひこね演劇鑑賞会   代表幹事:八田光雄

☆ミュージカルカンパニーイッツフォーリーズについて
 

日本の創作ミュージカルの第一人者 故いずみたくが、ミュージカルを専門に上演する劇団として、昭和52(1977)年に創立しました。 
子ども、児童、青少年、学校向け、一般と幅広い年齢層に向けたミュージカルを全国で公演し、好評を得ています。 
劇団公演以外にも外部作品の舞台やテレビ、CM、イベントなど多彩な活動を行う劇団メンバーは現在約40名。
その多くは、かつて、いずみたくが多くの歌手を養成・輩出した実績から始めた、プロのミュージカル俳優を目指す養成所として25年以上の実績を持つ「イズミ・ミュージカルアカデミー」(現・イッツフォーリーズ付属養成所)の出身。 
いずれも「歌って・踊って・芝居のできる」俳優として評判をとっています。 
(イッツフォーリーズホームページより) 


☆ いずみたく (作曲家・1930〜1992) 
  
 本名  今泉 隆雄 
 昭和5年 (1930)1月20日 東京に生まれる 
 昭和21年 (1946)    鎌倉アカデミア演劇科入学 
 昭和25年 (1950)    舞台芸術学院演劇科卒業   
 昭和27年 (1952)    うたごえ運動に参加 
 昭和30年 (1955)    朝日放送ホームソングコンクール・グランプリ受賞 
                CM音楽及び映画・ラジオ・テレビの劇音楽を多数。 
                作曲かたわらミュージカル創作に意欲をもやす。 
                CM音楽、2000曲以上。受賞多数。 
 昭和38年 (1963)    レコード大賞各賞受賞 
 平成元年 (1989)7月19日 参議院議員に繰り上げ当選 
 平成4年  (1992)5月11日 死去  

   (いずみたくホームページより)
 


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